【FNSドキュメンタリー大賞】幾千のときを超えて ハンセン病患者はなぜ解剖されたのか
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9月1日(金) 03:25~04:25
岡山県の2つのハンセン病療養所で相次いで出現したのは、入所者を解剖していたことを示す解剖録。
そこには様々な問題が隠されていた。関係者の貴重な証言をもとに検証。
OHK岡山放送
https://www.fujitv.co.jp/fnsaward/backnumber/32.html 原因何だろうってググったら、マツコ・デラックスもハンセン病だったらしい
びっくりしたわ >>6
ほんまや! まあ薬で普通に治ったんだろうけどもこの時代は 光田 健輔(みつだ けんすけ、1876年(明治9年)1月12日 - 1964年(昭和39年)5月14日)は、日本の病理学者、皮膚科医。
生涯をハンセン病の撲滅に捧げ、国立長島愛生園初代園長等を歴任した。
生前は「救癩の父」と崇められ、文化勲章やダミアン・ダットン賞を受けた。
その一方で、患者の絶対隔離政策を推進する「癩予防法」改正、無癩県運動や「らい予防法」制定の中心人物であり、日本の対ハンセン病政策の明暗を象徴する人物ともされる。
贈正三位勲一等瑞宝章。 >>9
主に20世紀後半以降、日本におけるハンセン病政策の不当性や、患者・元患者に対する人権蹂躙が論じられるようになるにつれ、光田に対する批判もなされるようになった。
特に患者に対する強制不妊手術・人工妊娠中絶手術の実施や、ハンセン病患者の強制隔離政策(無癩県運動)の推進に深く関わった点、1940年代以降、特効薬プロミン等による薬物療法の確立後も強制隔離政策の継続を強く主張し、らい予防法(1953年)に積極的に関わった点等は、ハンセン病元患者や、藤野豊などのハンセン病問題を研究する歴史学者などから、差別や人権侵害を助長したものとして批判されている。
無癩県運動にかかわった組織による反省声明にも、光田の主張を受け入れてしまったことによる謝罪の弁があり、文化勲章を剥奪すべきとする人もある。 >>11
得てないの?なし崩し的な同意は有ったのでは? 親族も疎遠で乱暴な扱いもあった、、とは言ってたけど そりゃまあ、子孫にも感染するぐらいの疑いもあった時代だからな
この話とりあえず、昭和以前と平成以降ぐらいを分けて断罪しないと分からなくなるな
さっきから時系列が行ったり来たりな作りだから困る 光田批判に対しては、当時の文脈においては合理的な判断であり、また光田自身には患者を救済しようとする人道的意図があったとして光田を擁護する反論もある。
例えば、光田が患者救済と差別助長という矛盾した行動を取った背景について、藤野豊は「らいは恐ろしい伝染病であり、らい患者が存在することは文明国の恥である」という光田独自の考えがあったからではないかと論じている。
これに対して、光田に師事した医師犀川一夫は、光田が「たとえ病原菌が無くなっても、世間の差別の目のせいで元患者が社会復帰するのは難しい。だからあえて隔離するのだ」と主張した事例を紹介し、当時の患者を取り巻く状況においてはそれなりの合理的な理由があったのではと述べている。 >>20
移らない実態が分かった後、治療法の確立後と、
それの前かの違いは明確にして欲しいですね 戦時中の徴兵だって立派な人権侵害だと思えるぐらいだからなあ
南方でのマラリア餓死みたいな無駄な戦死からの遺体放置と、こういうハンセン病による死からの解剖、そこまで違いがあるとも思えない >>25
自分の記憶でも少なくとも平成元年ぐらいまでまだまだ偏見もあったと思う
今みたいにネットの情報もないし 治療法も70年代ぐらいまで曖昧だったとさっき医師も言ってたし
特に田舎なんかでは宗教的にらい病を嫌ってたりする偏見もあったからね
らい病は聖書にも書いてあるぐらいだからな >>30
政府として正式に謝罪したのは平成でしたかね
おっしゃる通りで、だからこそ時代の線引きは明確に構成して欲しかったですね >>31
まあ聖書の現代解釈は今でも難しいことだが
キリストが手をかざすと一瞬でらい病が消えた、みたいな魔法的な記述もある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています