0066渡る世間は名無しばかり垢版 | 大砲2022/08/09(火) 23:03:10.04ID:2jE8S1VF 「羽越豪雨」を始めとする最上川の水害 最上川における洪水の原因としては、 融雪(ゆうせつ)によるものと大雨によるものに大別されますが、これまで大きな被害をもたらしてきた洪水は大雨によるものが大半です。大雨の原因としては、地理的条件から、台風によるものは比較的少なく、前線性降雨や温帯低気圧によるものが多くなっています。 最上川で大きな被害をもたらしたのは、戦後最大規模の洪水であり河川整備計画の目標洪水でもある昭和42年8月洪水(羽越豪雨)、昭和44年8月洪水等です。 https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0211_mogami/0211_mogami_02.html 被害の大部分は新潟県下越地方である村上市、新発田市、岩船郡、北蒲原郡などに集中した。また前年の1966年(昭和41年)7月17日にも集中豪雨(下越水害)があって被害が復旧しきれていない段階で再度集中豪雨が降り注いだことにより、被害がさらに拡大した。 特に被害が甚大だったのは荒川流域である。この地域では岩船郡関川村で降水量が30時間で約700ミリという猛烈な豪雨となった。このため村内を流れる荒川とその支流である大石川が氾濫(はんらん)して堤防が各地で決壊。町内は泥水と上流から流れてきた岩石によって埋め尽くされた。これにより関川村内だけで死者34名、家屋の全半壊371棟となり、被害総額は177億円と当時の村予算(約3億円)の60倍となる莫大なものであった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E8%B1%AA%E9%9B%A8
0071渡る世間は名無しばかり垢版 | 大砲2022/08/09(火) 23:03:37.44ID:2jE8S1VF 筑後川の洪水の歴史 明治維新から現在の洪水年表 http://www.qsr.mlit.go.jp/chikugo/archives/kozuichisui/cikugokozui/suigai2.html 1957 昭和32年7月 梅雨前線 6.70m 3日 〃 1959 昭和34年7月 梅雨前線 6.00m 7日 〃 1962 昭和37年7月 梅雨前線 6.40m 6日の水位、4日(6.40)、6日、8日(6.60)とピーク水位3回有り 1963 昭和38年5月 梅雨前線 6.10m 11日 〃 1963 昭和38年8月 梅雨前線 6.86m 17日 〃 1965 昭和40年6月 梅雨前線 7.02m 20日 〃 https://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1630197853/810-
0086渡る世間は名無しばかり垢版 | 大砲2022/08/09(火) 23:04:13.69ID:2jE8S1VF >>72 洪水の被害に泣いた 津軽の文化を育む恵み深い岩木川の流れ。この穏やかな流れも突然荒れ狂い、平和な暮らしを奪い取る洪水となって、人々を襲うこともしばしばでした。 岩木川は上流部の河床勾配が急で、洪水流出が短時間に集中しやすい特徴があります。それに加え下流部では、河床勾配が緩く洪水が長期化するなど、流域は宿命的な水害に悩まされて来ました。人々は、自然の猛威に敢然と立ち向かい、不屈の精神でその災難を克服してきました。そして、幾度となく繰り返された水との闘いを通して、人々は多くのことを学び、新しい技術や文化を生み出してきたのです。 岩木川の洪水による被害は、古くは室町期時代永禄10年(1567)から記録され、その数は百数十回にも及んでいます。昭和に入ってからの主な洪水は、昭和10年8月、昭和33年9月等表のとおりですが、特に、昭和50年8月洪水では、岩木川上流の岩木山蔵助沢の鉄砲水により、岩木町百沢部落の22名が犠牲となりました。また、昭和52年8月洪水では、弘前市街の土淵川支川寺沢川が普段の20倍もの川幅となり、沿岸の人家を総なめにし、犠牲者11名を出した大惨事は忘れられません。最近では平成2年9月洪水、9年5月洪水により、家屋や農作物に大きな被害がありました。 昭和10年8月洪水 https://www.thr.mlit.go.jp/aomori/river/material/memoration/fight.html
0119渡る世間は名無しばかり垢版 | 大砲2022/08/09(火) 23:05:49.97ID:2jE8S1VF >>84 「テレビの番組をよく見ると、こうした言葉を用いるために条件をかなり限定していることも多い。例えば『南の海上にある台風で、8月3~6日に発生したものの中では観測史上最大』といった具合です。条件を絞ればそれだけ“観測史上最大”という言葉は乱用が可能です。仮に最大でも、最終的に日本までそのままの勢力でやって来るかはわかりません。無理にひねり出した言葉で視聴者を“あおって”いるのでは、と感じてしまいます」 そして、こうしたあおり文句をあまりに連発すれば、かえって逆効果になりかねないというのだ。 「例えば降水量についても、観測地点は全国に約1300カ所あります。雨が降る場所は年ごとにばらつきがあるので『観測史上最大』の数値はしばしば記録されていく。にもかかわらず、その1カ所のみを取り上げ、あたかも列島全体が大変であるというような報じ方は適切ではありません」 https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09081100/?all=1
0137渡る世間は名無しばかり垢版 | 大砲2022/08/09(火) 23:06:19.34ID:5u/NTADX 勝手に盗撮されているけど、プライバシーの侵害にならないの? 仮に不倫していてテレビ映ってしまったらどうするんだろ
0139渡る世間は名無しばかり垢版 | 大砲2022/08/09(火) 23:06:21.09ID:2jE8S1VF 日本の縄文時代は完新世最温暖期にあたり、気温は現在より2°Cほど高く温暖で湿潤な気候でした。縄文人が好んで食べた貝類の殻を捨てた貝塚が内陸部で見つかっていることから、海面は今より3-5メートルも高く、縄文海進と呼ばれるように海岸線は内陸部に大きく食い込んでいました。また縄文人は「トウカイハマギギ」という熱帯魚の一種を食料にしていたことが、岡山県の彦崎貝塚や佐賀県の東名貝塚から骨が大量に発見されたことで明らかになりました。現在は寒冷な東北地方にある三内丸山遺跡で高度な縄文文化が長期間維持されたのも、当時の気候が今よりうんと温暖だったことが根本的な要因です。 https://sora.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1659184598/460- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E9%8A%80%E5%BA%A7 1894年(明治27年)6月は空梅雨で北海道から九州まで広範囲で異常な高温になった。盛夏期は北から平年並みに落ち着いてきたが、7月は東北地方以南、8月は西日本で高温傾向が続き、夏全体でも全国的猛暑となった。北海道寿都町では8月7日に観測史上2位の33.7℃を観測した。熊本県熊本市では6月13日から9月9日まで89日連続で真夏日となり、これは現在でも本土での最長記録となっている。 https://sora.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1658328065/120- 昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):東北北部 https://www.data.jma.go.jp/cpd/baiu/kako_baiu12.html 梅雨の終わりに大雨が降るのはなぜ? https://style.nikkei.com/article/DGXKZO04600540Y6A700C1W12001/