>>311
切支丹屋敷(きりしたんやしき)は、江戸時代に江戸小石川小日向(現在の東京都文京区小日向1-24-8)にあったキリシタンを収容する屋敷である。
新井白石の『西洋紀聞』内には「きりしたむ屋敷」の表記で現れている。山屋敷とも呼ばれる。

切支丹屋敷に最後に幽閉されたのは、『西洋紀聞』で有名な「ヨハンハツテイスタシロウテ」(シドッチ) である。
シドッチは宝永5年(1708年)に屋久島に上陸し、長崎を経て江戸に送られ、この屋敷で新井白石の尋問を受けた。

シドッチ以後、宣教師が密入国することは絶え、宣教師の牢獄としての役目を果たすことはなくなった。
シドッチが正徳4年(1714年)に没した後は収容される者もいなくなり、切支丹屋敷は享保9年(1724年)か10年頃に火災で焼失、その後は再建されることもなく放置された。
以後、宗門奉行の業務は転び切支丹類族帳、切支丹宗門改帳の受け取りなどに限られるようになった。