エゼルレッドはデーン人に対する懸念から、国内のデーン人を虐殺した。このことは、当時のデンマーク王スヴェン1世の反発を招き、デーン人の侵入を激化させることになった。イングランドの国内勢力をまとめ上げることもかなわず、ついに1013年、デーン人の攻撃に屈して姻戚関係にあったノルマンディーへの亡命を余儀なくされた。

こうしてスヴェン1世にイングランド王位を奪われたが、翌1014年にスヴェン1世が急逝した。そのため、エゼルレッドはイングランドに帰国して復位を果たした。しかし、デーン人のカヌート(のちのデンマーク王クヌーズ2世)がイングランド遠征を引き継いだため、引き続きデーン人との攻防は続いた。だが、1015年には3代の国王に仕えて「デーンゲルド」政策推進の中心人物であった重臣エアドリチがカヌートに内応して離反してしまう。これによってイングランド側は苦境に立たされる。こうした状況の中、生涯を通じてデーン人と争ったエゼルレッドは、1016年に病没した