大脱走(原作)その後
1944年4月上旬、脱走決行時まで収容所長であったフォン・リンダイナーの後任、オズベルト・ブラウンが脱走兵のうち50名が射殺されたことを捕虜側のリーダー、マッシーに通告する。ロジャーの名も名簿に記されていた。射殺された50名は証拠隠滅のために火葬され、2週間後には遺骨が収容所に届く。
1944年6月、無事に帰国を果たしたロッキー・ロックランドとジェンス・マラーより偽名で手紙が収容所に届く。その後、ボブ・ヴァン・デア・ストックも同様に無事を知らせた。
1944年7月、「北収容所」では新たなトンネル「ジョージ」が掘り始められた。
1944年冬、「ジョージ」が鉄条網の外に達したが降雪により脱走不能になったため、非常用の脱出口として確保する。
1945年1月26日、ソ連軍の攻勢によって東部戦線が収容所に迫り、ドイツ将兵による雪中の撤退が始まる。
1947年7月1日、ハンブルク裁判所で50名中46名の射殺に関与したゲシュタポなどのドイツ将兵18名の軍事裁判が行なわれ、15名に死刑判決が下る。
1948年2月26日、判決を受けたドイツ将兵14名の刑が執行される。
1948年10月11日、最後まで不明であった4名の射殺に関与したドイツ将兵2名が、軍事裁判にかけられる。