【マタ-リ】不適切にもほどがある! #8
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もっとも当初、セカンドシングルはデビュー曲『スローモーション』に近い路線の作品で、来生えつこ(詞)と来生たかお(曲)コンビによる『あなたのポートレート』で決まっていた。しかし、明菜の制作宣伝を統括していたワーナーの寺林晁氏(現「エイベックス・エンタテインメント」レーベル事業本部アドバイザー)のツルの一声で『少女A』に変更された経緯があった。
寺林の判断には社内からも異論が出ていた。ワーナーで明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現「モモアンドグレープスカンパニー」代表取締役)が明かす。
「明菜に関しては、寺林さんの指示は絶対でしたので『少女A』という決定は変えようがありませんでしたが、とはいえ第2弾も来生コンビの路線で行くべきだったのではないかという意見が、社内の一部に根強くあったのも確かです。いずれにしても、セカンドシングルの直前に発売したアルバムが好調だったこともあって、発売直前までそう言った声がくすぶっていましたね」
もっとも『少女A』には、そんな意見以上に制作現場泣かせ(?)な難題があった。
「明菜自身が『少女A』のAを自分のことだと勘違いしていたんです。それで詞の内容を含め、最初から『イヤだ!』『絶対に歌いたくない!』と言い張っていたんです。確かに10代の明菜にとっては強烈的な詞でしたから、余計にそう思ったのかもしれませんね。
https://www.iza.ne.jp/article/20200604-T4MUWQNCFVIYTNKCUAVKRQ5FN4/
https://fujinkoron.jp/articles/-/5909?page=4 17歳になった少女・中森明菜が、同曲で一躍スターになるのは歴史の事実である。実は、『あなたのポートレート』はセカンドシングルでも、最後まで『少女A』とシングル候補を争ったと聞く。
もし――歴史に「if」が許されるとして、その時『あなたのポートレート』が選ばれていたら、その後の彼女の人生はどうなっていただろう。
https://fujinkoron.jp/articles/-/5909?page=6 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています