>>62 樋口広太郎(2)アサヒ初出勤の日 土地売却に「ノー」宣言 樋口広太郎 2017年1月30日 5:40 アサヒ初出勤 土地売却、ひっくり返す 社長就任、経営再建に闘志
私がアサヒビールに初出勤したのは1986年(昭和61年)1月7日です。次期社長に内定していましたが、正式に就任するまでの3カ月は顧問ということになっていました。
その前の年に、アサヒビールのシェアは過去最低の9.6%まで落ち込んでいて、聞きしにまさる窮状でした。

吾妻橋工場の横には、小さなビアホールがあった(1970年代) その日、初めての会議では端の方に座っていました。議題は、大部分をすでに売却した東京の吾妻橋工場の角にまだ残っていたビヤホールの土地、約1300平方メートルを売却するという件でした。
工場本体はすでに売ってしまったのですが、その代金は社員の給料などで1年半で食いつぶしてしまっていたので、おカネがない。だから全員賛成です。
しょうがないのかなと思いましたが、「ちょっと待ってください。本件の決済日と受け渡し日はいつですか」と尋ねました。すると、決済日は3月31日で、受け渡し日が4月2日だという答えが返ってきました。
待てよ。私が社長に就任するのは3月28日だから、私の初仕事は資産売却になってしまう。冗談ではない ,私は即座に反対しました。
「東京や大阪の資産をこの数年であらかた売ってしまって、そのうえシンボルの吾妻橋まで全部売ってしまったら、会社のイメージがさらに落ちる。当面のおカネは私がなんとかするから、この話だけは勘弁してくれ」と頑張って、ようやく売却を中止させました。
そのくらいの気概がなかったら、とてもやれませんでした。