>>60 まず、磯田さんは、関西相互銀行との合併計画を強引に進めようとされました。78年に発表したこの合併計画に、私は役員の中で真っ先に「絶対にやってはいけない」と反対したのです。
まず関西相銀は住友銀行の系列でしたが、向こう側の一部が住銀との合併を喜んでいないという情報が私の耳に届きました。それで私は、これはまずいと思ったんです。
私は、過去に合併を発表しながら失敗に終わったケースについて、15例ほど新聞の切り抜きを持って大阪に乗り込み、関西相銀との合併を担当していた後の頭取、小松康さんに「いま断念すれば、うちは恥をかかずにすみます」と申し上げました。
磯田さんは何が何でも合併をやるつもりでしたから、反対する私をだいぶうるさく思われたようです。結局、関西相銀との合併計画は、相手側の組合や取引先の反対運動が激しくなり、流れてしまいました。
磯田さんとの関係を決定的なものにしたのは、イトマンへのある融資をめぐる意見の食い違いでした。イトマンが手がける石油の取引に大口の融資をするという話が出てきた時、私は担当副頭取として断固反対しました。
イトマンは石油の分野で営業実績がないし、石油関係の専門家もいない。だから、私は会長室へ行って、「この融資の話はおかしい」と指摘したんです。
ところが、それが磯田さんの逆鱗に触れました。「これは銀行の方針だ。そんなに気に入らないのか。君、辞めるつもりか」とまで言うので、私は「自分の考えは変わりません」と答えました。
その時はすぐに辞めろというわけではなく、「邪魔をせずに、静かにしていろ」ということだったのですが、しばらくして、住友関連2社の社長ポストの話が出てきました。
磯田さんに「話をつけてきたから、どちらでも好きな方を選べ」と言われた私は、「どちらもお断りします。
私はアサヒビールに行かせてもらいます」と返事をしました。これにはさすがの磯田さんも、「君、本気か」と驚きました。