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樋口広太郎(3)実力会長・磯田氏と対立 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO12147250W7A120C1000000/
樋口広太郎(3)実力会長・磯田氏と対立 住銀を飛び出す 樋口広太郎2017年2月2日 5:40 住銀を飛び出す 磯田氏への直言裏目 安定企業をけりアサヒに 住友銀行の副頭取からアサヒビールへの転出が決まった時、父は病床についていおり、すでに病状はかなり悪くなっていました。
「今度、アサヒビールに行くことになったよ」と話したら、「住友銀行に長年お世話になった分を、アサヒビールでお返ししなければいけないぞ」と、昔かたぎの律儀な性格をそのままに、私を励ましてくれました。
父が亡くなったのは、それから間もない1986年2月5日。京都の病院に夜遅く駆けつけると、もうすでに父の意識は怪しくなりかけていました。しばらく添い寝をすると、静かに息を引き取りました。幼いころから私に言い続けてきた「他人様には迷惑をかけるなよ」というのが、父の最後の言葉でした。
副頭取時代、磯田一郎頭取(左)と 当時、住友銀行の実力者は、名実ともに会長の磯田一郎さんでした。
副頭取時代に難しい安宅産業問題を先頭に立って処理したことで一躍有名になった人物です。私は何でもぽんぽん言う性格ですし、銀行での36年間の経験では、意見をどんどん具申するのはいいことだ、という行風でしたからね。
自由闊達に議論して、いったん決まったことについては一丸となって取り組むというのが、住友銀行の本来のあり方だったのです。だから私は磯田さんに対しても、まずいと思うことがあれば遠慮せず、はっきり「ノー」と言いました。まさか、それが銀行を出る引き金になろうとは、思いもよりませんでした。