>>412
ググってみたら
九九でいえば二八は十六、そばの値段が十六文の頃こういう呼び方をされ、慶応年間(1865~68)以降そばの値段が二十文を超えてからは、そば粉八割、小麦粉二割のそばを指したというのが有力な説。しかし・・・二八うどん、二六にゅうめんなるものもあったようで・・・。こうなるともう何がなんだか・・・。昔からさまざまな議論がされ、いまだ「これだっ!」という答えはでていません。一つだけはっきりしているのは、二八は数を隠語や省略でかっこよく表現しようとした江戸っ子の「粋」から生まれた言葉であり、二八そばは江戸町民の舌とフィーリングにぴったりあった、洒落た愛すべき食べものだったということです。
とのこと