留学生として来日した彼は、日々、工業技術を学ぶ傍ら、グランドでは陸上競技(サッカーではない!)の練習に励むスポーツマンでした。ある日、いつも通り練習をしていたら、同じグランドで日本のサッカーチームが練習をしていました。たまたまその場に居合わせただけでしたが、どうやらその様子に「見かねて」声をかけてしまったようです。彼は、当時のミャンマーサッカーでは当たり前のことをアドバイスしただけでしたが、それは当時の日本にとって、目新しいことばかり。しかも、そのアドバイスした相手というのは、何と国際試合である第五回極東選手権大会(1921)に出場する日本代表チームだったのです。

彼が教えた技術は、イギリス(当時ミャンマーの宗主国)仕込みのものではありましたが、それは「イングランド」式ではなく、英国内で対抗する「スコットランド」の戦法。実際、第一次世界大戦中、従軍先の中東において行われた試合で、彼は英国チームを破ったそうです(どのような試合かは詳細不明だが、「イングランド」対「英領ビルマ」戦と思われる)。