FIFAワールドカップ アジア2次予選「ミャンマー×日本★5
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misakichiunkoaisakataiga
FIFAワールドカップ アジア2次予選「ミャンマー×日本★4
https://sora.5ch.net/test/read.cgi/liventv/1717678402/ >>336
セルジオのつぶやきはどうでもええやろう いいほど知られていません。
1900年生まれのウ・チョーディンは、1920年頃に英国植民地下のビルマから来日した東京高等工業学校(現東京工業大学)の留学生でした。1924年まで日本に滞在した彼の名前は、チョウ・ディン(KYAW DIN)、あるいはモン・チョウ・ディン(「モン」は年少者の敬称「マウン」の別表記)として記録されています。一般的な知名度は低くとも、彼の功績については、スポーツ関連の古い書物や雑誌において断片的に記されており、その内容はサッカー史に詳しいウェブサイトに掲載されています(「賀川サッカーライブラリー」、「日本サッカー・ブック・ガイド」)。まずはこうした日本側の資料の中から、彼の功績についてたどっていきます。 >>287
上田はコパの時の裏抜けが俺の中でピーク
あそこから色んなことが出来るようになったけどワクワク感はコパの時が最強だったなあ 留学生として来日した彼は、日々、工業技術を学ぶ傍ら、グランドでは陸上競技(サッカーではない!)の練習に励むスポーツマンでした。ある日、いつも通り練習をしていたら、同じグランドで日本のサッカーチームが練習をしていました。たまたまその場に居合わせただけでしたが、どうやらその様子に「見かねて」声をかけてしまったようです。彼は、当時のミャンマーサッカーでは当たり前のことをアドバイスしただけでしたが、それは当時の日本にとって、目新しいことばかり。しかも、そのアドバイスした相手というのは、何と国際試合である第五回極東選手権大会(1921)に出場する日本代表チームだったのです。
彼が教えた技術は、イギリス(当時ミャンマーの宗主国)仕込みのものではありましたが、それは「イングランド」式ではなく、英国内で対抗する「スコットランド」の戦法。実際、第一次世界大戦中、従軍先の中東において行われた試合で、彼は英国チームを破ったそうです(どのような試合かは詳細不明だが、「イングランド」対「英領ビルマ」戦と思われる)。 引いた相手に中央突破出来る選手なんか世界に数人しかいないだろうな
クロアチア戦の時のネイマールみたいな >>329
浅野はなんかいいとこで点取る能力持ってるしな 中村は左サイドのスペース使わせといた方が良かったんじゃないの 小川、旗手、鈴木あたりは
もともといない選手だし
本日は収穫無しだな…
チャンスなのに 前田wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ミャンマーだからなんとかなってるけどやっぱこのチーム背が低すぎるわ 良さじゃねーよ
決めろよwwwwwwwwwwwwwwwwww
ハゲ ミャンマーの守備を相手にしたらベンゼマでも点とれんよ ミャンマーってなんで予選参加してるのサッカーの試合で11人で集められる国なの 貴重な地上波でこんな塩試合じゃサッカー代表人気ますます無くなる… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています