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0819名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 13:57:54.03ID:L5CKYeYod
日本の河川の特徴としてもう一つ、日本には天井川が多いということです。

天井川は周囲の平地より高い所を流れる川です。そして、天井川は扇状地を流れる川など、山から流れ出る土砂が多い地域に見ることができます。

山から流れてくる土砂が多いと、川底にその土砂がたまります。すると川が浅くなり氾濫を起こします。それを防ぐために堤防を高く作ります。

さらに土砂が上流から流れてきて川底に溜まり、川が浅くなり氾濫を起こします。それを防ぐために堤防をさらに高く作ります。このようなサイクルで段々と川が高い所を流れるようになります。

日本の都市の大部分は、洪水時の河川水位より低いところにあり洪水の被害を受けやすいのです。

https://sora.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1657975219/432-
0820名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:08:56.25ID:L5CKYeYod
扇状地はどうしてできたの?

 山は、山地の狭い峡谷から開けた平地に出ると、急に川幅が広がり流速や水深は小さくなります。流速や水深が小さくなるほど、川が土砂を運ぶ力も小さくなるため、洪水の時に山から運ばれてきた土砂は、粗い砂礫から順に流れに沿そって堆積していきます。こうして川底が土砂の堆積によって高くなっていくと、より低いところへ流れる川の性質から、大きな洪水のたびに流れの向きを変え、長年の年月の間に放射状に揺れながら流れ、土砂を堆積させて、扇状地をつくります。

 扇状地がつくられる条件
①上流の山地が浸食されやすく、急斜面である
②下流の土砂が堆積する地域は、川が自由に流れを広げたり移動したりできるほど広いこと
③砂礫がもっていかれたり、水面下に没してしまうような地形ではないこと

https://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/chiebukuro/search/kankyou/sizen/No_029.html
https://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/chiebukuro/search/GIF/Image/No029.gif
0822名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:23:26.21ID:L5CKYeYod
都市型水害はなぜ起きるのか
都市水害の原因は雨水のラッシュアワー
https://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/bousai/saigai/1999/html/d.htm

都市水害を理解するためには、2つの視点が必要となる。1つは洪水という自然現象、もう1つは水害という社会現象についてである。都市水害と称されるからには、洪水にどのような変化が認められるのか、そして水害の内容がどんな変貌を見せているのか、ということになる。洪水でいえば、量より質、つまり洪水の期間に流れる全量の変化より、ピーク時の流量だけが極端に大きくなってくることである。水害ということでいえば、従来は水害にならなかった洪水氾濫でも水害になってしまうということである。 都市が造られると、それに伴って道路が整備され、その道路には側溝が造られる。当然、住宅には雨どいが作られ、できるだけ早く川に雨水を流そうとするようになる。そのため降る雨の量が昔と変わらなくても、降った雨が川に到達する時間は飛躍的に短縮されることになる。
0823名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:24:08.73ID:L5CKYeYod
また、水田であれば洪水になっても水害とは呼ばれなかったが、家が建てば水害になってしまう。かつては雨が降ると、雨水は田んぼなら約24時間、蓮の生えるような池なら約48時間位の間遊んでいた。しかし、今ではそのような所にも住宅を建てるようになり、そして少しでも雨水が溜まると、住民は「被害が出る」と騒ぐようになった。要は住民にとって、周囲に雨水が少しでも滞留することは許されないことなのだ。今まで許容してきたことが被害になってしまう、その住民意識が都市水害発生の根っこのところにあるといえる。さらに近年では、単に田んぼを潰して住宅を建てるから都市水害が発生する、というシンプルな図式だけではない。田んぼを潰して住宅を建てる時は、水に浸かりたくないから盛土をする。皆が盛土をするから、雨が降ると風呂にたくさんの人が入った時のように水位が上がるというようなことも起こり、盛土をするのを敵視する所さえ出ている。
0825名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:31:29.74ID:L5CKYeYod
(2)水害の歴史と治水事業の沿革
 
1)水害の歴史 
過去に甚大な被害をもたらした主な洪水は以下のとおりである。
https://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/kihonhousin/no02/siryo_05detail/01_03.html
最上川の濁流が生んだ芭蕉の名吟
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12614466610.html

梯川の概要 > 水害の歴史・河川情報の提供
http://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/river/jigyo/kake4.html
梯川改修の歴史と手取川水害
https://www.city.komatsu.lg.jp/material/files/group/39/515kakehashi.pdf
0826名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:33:09.91ID:L5CKYeYod
歴史・文化とのつながり

梯川の流域は、縄文時代から人々の生活が営まれてきた古い歴史を持つ地域です。河口部に位置する安宅にあたっては、古くから海岸沿いの交通の要地であり、源義経が安宅に置かれていた関所で、弁慶の奇智により難を逃れた「勧進帳」の話などはよく知られています。
 また、加賀藩三代藩主前田利常によって築城された小松城は、梯川の蛇行によってつくられた沼地を利用した平城であり、川の水を引き入れた堀の中に8個の島が兵法に従って配置されていました。
 城の面積は、金沢城の倍近い約56万m2に及ぶ広大なものであり、堀が城地の約30%を占めるその様は「小松の浮城」とも呼ばれる類い希な景観を持つ名城でした。

https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0415_kakehashi/0415_kakehashi_01.html
0827名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:33:26.04ID:L5CKYeYod
治水事業の歴史のはじまり

梯川の本格的な治水事業の始まりは、明治44年(1911年)~大正12年(1923年)にかけて、屈曲の著しかった小松市街西方の下牧町から鶴ヶ島町間に河口に向けた新しい水路を掘ったことが起こりとなっています。
 昭和9年(1934年)7月10日に、手取川上流で降雨量460mmと平年の55日分の雨が降り、手取川で氾濫した洪水が、手取川左岸から梯川右岸一帯にかけて巨大な湖を作り、大災害が発生しました。その後、昭和43年(1968年)8月の豪雨災害など、幾度の洪水を経て、抜本的な河川改修の必要性が高まり、昭和46年(1971年)に梯川は一級河川に指定されました。
0828名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:36:46.46ID:L5CKYeYod
「羽越豪雨」を始めとする最上川の水害

最上川における洪水の原因としては、 融雪(ゆうせつ)によるものと大雨によるものに大別されますが、これまで大きな被害をもたらしてきた洪水は大雨によるものが大半です。大雨の原因としては、地理的条件から、台風によるものは比較的少なく、前線性降雨や温帯低気圧によるものが多くなっています。

最上川で大きな被害をもたらしたのは、戦後最大規模の洪水であり河川整備計画の目標洪水でもある昭和42年8月洪水(羽越豪雨)、昭和44年8月洪水等です。

https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0211_mogami/0211_mogami_02.html
0829名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 14:39:46.50ID:L5CKYeYod
新潟県

被害の大部分は新潟県下越地方である村上市、新発田市、岩船郡、北蒲原郡などに集中した。また前年の1966年(昭和41年)7月17日にも集中豪雨(下越水害)があって被害が復旧しきれていない段階で再度集中豪雨が降り注いだことにより、被害がさらに拡大した。

特に被害が甚大だったのは荒川流域である。この地域では岩船郡関川村で降水量が30時間で約700ミリという猛烈な豪雨となった。このため村内を流れる荒川とその支流である大石川が氾濫(はんらん)して堤防が各地で決壊。町内は泥水と上流から流れてきた岩石によって埋め尽くされた。これにより関川村内だけで死者34名、家屋の全半壊371棟となり、被害総額は177億円と当時の村予算(約3億円)の60倍となる莫大なものであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E8%B1%AA%E9%9B%A8
0830名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 16:10:25.29ID:L5CKYeYod
筑後川の洪水の歴史
明治維新から現在の洪水年表
http://www.qsr.mlit.go.jp/chikugo/archives/kozuichisui/cikugokozui/suigai2.html

1957 昭和32年7月 梅雨前線 6.70m 3日 〃
1959 昭和34年7月 梅雨前線 6.00m 7日 〃
1962 昭和37年7月 梅雨前線 6.40m 6日の水位、4日(6.40)、6日、8日(6.60)とピーク水位3回有り
1963 昭和38年5月 梅雨前線 6.10m 11日 〃
1963 昭和38年8月 梅雨前線 6.86m 17日 〃
1965 昭和40年6月 梅雨前線 7.02m 20日 〃
https://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1630197853/810-
0832名無しさんにズームイン!
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2022/08/06(土) 17:40:42.44ID:L5CKYeYod
>>539
え!?これって気象用語じゃないの!? ゲリラ豪雨は不適切用語
https://hello-iroha.com/books/yougo/

知らなかった!「集中豪雨」「木枯らし1号」はマスコミ生まれ

ふだん何気なく聞いている「集中豪雨」。「狭い範囲に数時間にわたり強く降り、100ミリから数百ミリの雨量をもたらす雨」という定義をされていますが、もともとは気象用語ではなく、マスコミ生まれの言葉だったのです。昭和28年8月に、京都府南部の南山地域をおそった局地的な豪雨を、朝日新聞が「集中豪雨」という見出しをつけ、以来ひろく使われていくようになったと言われています。
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