【マターリ】ファン1万人がガチで投票! 高校野球総選挙2023
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>>436
日和った結果甲子園に行くチャンスが永久に消滅したのかわいそう 真っ黒な坂東英二史の中で唯一光輝いていた高校記録を亡き者にするのは許せんわ 板東英二は投票年代にとってはそういやそんなゆで卵芸人いたなあくらいにしか記憶にないんだろう >>448
奪三振記録で甲子園中継にたまに名前出てくるけど実況でもえ?みたいな反応も多いな >>446
たかだか高校野球の監督のアンタに日本の至宝になるかもしれない選手の選手生命を削る資格があるのか?とか脅されとったんや 野球もユース的なルート作ればいいのにな
球団のユースは無理だろうけど高校年代で必ずしも甲子園目指さなくていいルート作ればいいのに >>451
日本人が見てるのはその人のドラマなんや
野球じゃない
野球が上手くてもファンはつかないんよ >>453
高校生はお前らエセ高校野球ファンを感動させるために野球をやってる訳ではないんですよ
勝手に日本人の総意にしないでねw >>449
86奪三振は凄いんやけど坂東は奪三振率は高く無いねん
それより投げたイニング数が異常なんよ。ドラマなんよ >>451
サッカーと違いプロとアマで組織が違うので難しいんですよね
Jリーグの様なユースチームをプロで造ってリーグ戦しようにも
高野連に加盟してないと公式戦どころか練習試合すら出来ない事に
なると思います。
高野連(朝日&毎日)でプロ野球(読売)ですから利害関係もぶつかりますし。 1958年の夏の甲子園準々決勝、徳島商(徳島)vs魚津(富山)は、板東英二・村椿輝雄の両エースが一歩も譲らず、延長18回を終えても0-0。大会史上初の引き分けとなった。
翌日の再試合で板東は完投勝利。その後決勝まで進み、大会通算83奪三振の金字塔を打ち立てる。
不滅の三振記録を生んだものは何か。それは意外にも、少し“後ろ向き”な理由だった。板東氏が振り返る。
あれは監督に怒られるのがイヤで投げていたらそうなった、というだけです。高校時代、僕は「1試合15三振以上」取らないと罰として一日中走らされた。
0点で抑えるのは当然。練習試合だろうがなんだろうが、15三振未満なら走らされるから、ひたすら三振を取りに行っていた。その結果が83個なんです。 それに、代わりに投げる人間が1人もいなかった。
徳島商の練習はキツすぎて、部員が次々辞めていき、あの年は実は8人しか野球部員が残っていなかったんです。
でも9人いないと大会に出られないからと、野球経験のないマネージャー(中学時代は卓球部)に急造三塁手をやらせた。リリーフピッチャーはおろか、正三塁手すらいない状況だったんですから。
練習は台風が来ようが、流感(インフルエンザ)で学校が休みになろうが、年中無休。毎日21時までは必ずやっていました。
休みの日は朝9時から。主将の僕はエースで4番だったので、午前中はバッティンとランニングをして、午後からはひたすら投げ込む。1日1000球近くは投げたでしょうか。
夜になってボールが見えなくなったら数百回素振りをする。その後は各人が交代で提灯を持って各塁の横に立ってベースランニング開始です。これが延々2時間。
終わると先輩の家まで走って、判子をもらって帰ってくるという練習もやらされた。1時間半はかかりましたね。すべて終わったら23時ということも珍しくありませんでした。
でも田んぼは農薬を撒いているから飲んだら下痢をするし、川の水は時間によっては塩水が満ちてきていて飲むのが本当に辛い。それでも飲んでいました。 こんな状況ですからどんどん部員が辞めます。僕も2回退部届を出しました。主将が退部届を出すんだから異常ですよ。
練習がしんどかったのもあるが、僕は教師になりたくて、勉強の時間が欲しかったんです。
もちろん受理されず、1回目の時は朝9時から15時まで、炎天下のなかひたすら立たされるという罰を受けましたけどね。
ただそんな状態だからとにかく回数は投げられた。この年の春の四国大会、僕は準決勝(vs高知商)で延長16回、決勝(vs高松商)で延長25回を投げ抜いています。
決勝は25回表に2点取られて負けて監督から怒られました。41回も投げたら1点くらい取られますって(笑い)。
でもこれがきっかけで、「いくらなんでも投げすぎや」と、高野連が直後の夏の大会から延長を18回までにする規定を作った。
その適用第一号になったのが僕だったんですけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています