元和2年(1616)3月、家康の腹部に腫瘍らしきものが発見された(以下『寛政重修諸家譜』)。
医学に精通していた家康は「寸白(寄生虫のサナダ虫)」が原因と自分で診断し、万病円という丸薬を服用することにした。万病円とはその名のとおり、万病に効く万能薬だったようである。

 これを聞いた片山宗哲は家康の体調を気遣い、万病円は大毒の薬なので、逆に体を痛める可能性が高く、服用を控えたほうがよいと直言した。

 ところが、家康は宗哲の言葉を聞き入れるどころか、逆に機嫌を大いに損ね、信濃国に流すことにしたのである。
宗哲の流された地は、信濃国の諏訪高島(長野県諏訪市)であったという(『本光国師日記』)。


でも最後は自分の誤診で死んでしまうという