1. PCR検査の仕組み <基本知識>
2. PCRで分かること・分からないこと
3. 類似DNAを持つウイルス等も陽性に【問題1】
4. ただの曝露者も陽性に【問題2】
5. 増幅回数(Ct値)による陽性増加【問題3】
6. 発明者キャリー・マリスの遺言
7. PCR検査メーカーの注意事項
8. 今年のインフルエンザはどこへ?
9. 陰性証明書は何秒有効?
10. 無症状検査が「感染騒動」を作る
11. PCR検査を知れば、メディアの見え方が変わる
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高知県・江川崎では、8月10日から13日まで4日間連続して40度以上という、とんでもない高温を観測しました。
もともと江川崎は高温の出やすい所で、参考記録ながら、委託観測所時代の1929(昭4)年7月20日にも、41度の気温を記録しています。
今回の高温は、直接的には高気圧圏内で良く晴れて、沈降昇温が起きたこと、またフェーン現象や谷沿いで風が収束したことなど、複合的な理由が考えられます。
マスコミなどでは高温の理由を一つに限定してしまいがちですが、41度というような突出した高温は、色々な条件が重なった時に起こるものといえるでしょう。
そしてその一因に、外部的な要因もあるのではないかというのが、私の考えです。
このアスファルトが、今回の高温に何らかの影響を与えている可能性はないのでしょうか。
気温などの測器が設置してある場所を「露場(ろじょう)」といいますが、地上気象観測法には、この露場は「芝草を植えて風通しのよい柵で囲む。芝草は時折刈り込み、雑草を取り除き地面の状態を一定に保つように維持する。」となっています。その意味では江川崎のアメダスは、この条件を完全に満たしているようには見えません。
今回の江川崎の場合は、高温記録が出たあとに気象台職員が検分に出向き、測器の不具合はないということで、この高温記録も正式発表になりました。しかしアメダスの設置ポイントとしては、最良の条件とは言い難く、周辺のアスファルトが気温の上昇に影響を与えたことは否定できないでしょう。
ただアメダスというのは、無人観測所であるがゆえに管理も逆に大変で、メンテナンスには時間も労力もかかります。
おそらく全国には、江川崎のように条件の悪いアメダスはいっぱいあると思われます。
気象関係者は、突出した観測データを見たとき、こうした観測所の特性なども頭の片隅に置いて、適切な判断をすることが求められます。
雪が多い
日本は、国土の50パーセントが積雪地帯(雪が降って積もるところ)です。とくに本州や北海道の日本海側は、世界でも特に雪がたくさん積もる地域です。もちろん、世界中に雪がたくさん降る国は少なくありませんが、どの国も、雪が多いところには人はあまり住んでいません。日本では豪雪(ごうせつ)地帯(雪が特にたくさん積もる地域)にも大きい町があり、人がたくさん住んでいます。人口が多ければ、なだれや、雪どけ水が原因の土砂災害の被害を受ける人も多くなります。
また、水田であれば洪水になっても水害とは呼ばれなかったが、家が建てば水害になってしまう。かつては雨が降ると、雨水は田んぼなら約24時間、蓮の生えるような池なら約48時間位の間遊んでいた。しかし、今ではそのような所にも住宅を建てるようになり、そして少しでも雨水が溜まると、住民は「被害が出る」と騒ぐようになった。要は住民にとって、周囲に雨水が少しでも滞留することは許されないことなのだ。今まで許容してきたことが被害になってしまう、その住民意識が都市水害発生の根っこのところにあるといえる。さらに近年では、単に田んぼを潰して住宅を建てるから都市水害が発生する、というシンプルな図式だけではない。田んぼを潰して住宅を建てる時は、水に浸かりたくないから盛土をする。皆が盛土をするから、雨が降ると風呂にたくさんの人が入った時のように水位が上がるというようなことも起こり、盛土をするのを敵視する所さえ出ている。
治水事業の歴史のはじまり
梯川の本格的な治水事業の始まりは、明治44年(1911年)~大正12年(1923年)にかけて、屈曲の著しかった小松市街西方の下牧町から鶴ヶ島町間に河口に向けた新しい水路を掘ったことが起こりとなっています。
昭和9年(1934年)7月10日に、手取川上流で降雨量460mmと平年の55日分の雨が降り、手取川で氾濫した洪水が、手取川左岸から梯川右岸一帯にかけて巨大な湖を作り、大災害が発生しました。その後、昭和43年(1968年)8月の豪雨災害など、幾度の洪水を経て、抜本的な河川改修の必要性が高まり、昭和46年(1971年)に梯川は一級河川に指定されました。