>>508のつづき
※おりくの過去編。市井の人間たちのやり場のない怒りの空気が全編を覆いつくす。『いったい、誰が、なにが悪かったのだろうか…。』と。
前シリーズは“家族と血”というべきテーマがあったり、家族的繋がりのチームだった。血風編は“男と女の情念(情愛)”がテーマとなっている。
その部分からいうと、神代の世界観が画面いっぱいに広がっている。

ちなみに、今回の監督の蔵原と脚本の神代は、53年松竹京都の同期入社の旧知の間柄。
松竹を離れ一足はやく日活に移籍した蔵原は渡り鳥シリーズで名監督の礎を築いてゆく。
合流した神代は蔵原の助監督をやりながら己の世界を脚本として書きためてゆく。
70年代に入り日活の経営が傾くと、蔵原は日活を出るが、なかなか監督としてお呼びが掛からなかった神代は、作品に10分の濡れ場があればあとは自由に制作していいというロマンポルノに活路を見出だそうとして残る。
神代は『ロマンポルノの巨匠』として名を馳せてゆくのだが、世間の偏見の壁は厚く、それが亡くなるまで足かせとなってゆく。
今回の兄弟は、なんとなく蔵原と神代を感じさせるとはいえないだろうか…。
そして、血風編は『松竹というより日活』の雰囲気を漂わせているのが、他のシリーズと違う部分であるといえよう。