小田原攻めの際、同じく後北条氏の有力支城である鉢形城を前田利家・上杉景勝らが力攻めで落とせず、
降伏開城させたことを秀吉は手ぬるいと叱責し、八王子城は撃滅による落城をと厳命していた。
そのため八王子城攻めは非戦闘員の女子供までほぼ虐殺されたという「八王子城の悲劇」でも知られる凄惨な戦いとなり、
落城の際には城内の婦女子が御主殿の滝に身を投じ、滝の水は三日三晩、血に染まったという。
周辺の寺に現存している過去帳で600〜700人。秀吉軍も合わせると約1500人が1日で討死・自害したことになる。
また討死自害した将の首や捕虜を小田原城へ運び城前に並べている。