『古事記』崇神天皇条に、武埴安彦命が謀反を起こして崇神天皇の軍に敗れた際に、逃げ落ちた兵士が恐怖のあまり袴に便を漏らし、その場所を「くそばかま」と呼んだものが転じて「久須波(くすは)」になったと記されており、『日本書紀』にも同様の話が登場する。