>>413  >>353 久留米藩主-有馬氏    国秀が自害し有馬氏嫡流が断絶したころ、本貫地を播磨国淡河におく有馬重則の子則頼が有馬郡に進出してきた。   則頼は、細川澄元の女を母として生まれ豊臣秀吉に仕え、天正五年の播磨征伐に加わっている。三木城落城後、淡河城主となって一万五千石を領した。天正十五年の九州征伐、二十年の文禄の役にも従った。慶長六年(1601)、旧領摂津国有馬郡の内において二万石を賜わって三田城に住した。