>>353 >>332 おつ馬記念 有馬記念 有馬郷 有馬温泉 有馬氏   ●三つ巴    ●村上源氏赤松氏流    摂津国有馬郡は、鎌倉時代以前より都に近いこともあって、皇室や公家の荘園が多く、南北朝時代初期には南朝の勢力下にあった。建武四年(1337)兵庫湊川の戦いで楠木正成を破った足利尊氏はその論功行賞として、赤松円心の長男範資に有馬郡を含む摂津守護職を与えた。翌年範資は弟の則祐に命じて有馬郡の南朝方を鎮圧、以来、摂津守護職の交代はあったが、戦国時代に至るまで有馬郡は赤松氏とその庶流有馬氏が分国守護として支配した。
 有馬氏の祖は出羽守義祐で、赤松則祐の五男、あるいは六男といわれる。康暦二年(1380)五月、播磨国守護代有野状に大徳寺待者禅師御報、源義祐とあるように、守護代赤松義祐の存在が知られる。