>>895  明徳二年(1391)十二月、山名氏清一族が反乱を起こした「明徳の乱」」に際して、赤松惣領義則は一族を率いて奮戦、義祐の兄満則が戦死するなど、赤松一族は大きな犠牲をはらった。戦後、赤松一族に対する恩賞として、義則は幕府より美作国守護職に補任され、播磨・備前とあわせて三ケ国の守護大名となった。そして、義則は戦死した満則の嫡子満政に摂津国中島郡を与え、義祐には有馬郡を与えた。これにより、義祐は守護代より有馬郡守護となり、赤松惣領家の最前線を担った。