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 しかし、行楽地としての苦楽園は、致命的なマイナス点を抱えていた。それは交通の便である。前述のとおり、交通機関は人力車や馬車、せいぜいタクシーだったため、輸送力は限られていた。
 そこで浮かび上がったのは、阪神西宮駅から苦楽園を結ぶ摂津電気軌道や、甲陽園と苦楽園を結ぶ武庫電気鉄道株式会社、香櫨園から三笑橋を結ぶ摂津電気自動車などの計画である。
ちなみに電気自動車はトロリーバスのことで、香櫨園の海水浴客を苦楽園へと誘引する役割も期待されていた。
当時の新聞報道によれば、摂津電気自動車開業のあかつきには阪神電車は苦楽園に娯楽施設を設置し、宝塚にならって歌劇などを上演する計画も温めていたようだ。しかし、電車もトロリーバスも苦楽園へ上ってくることはなく、計画は幻となってしまった。