>>639 >>628 この頃はまさに阪神間モダニズムの時代で、電鉄会社や土地会社による行楽地や住宅地、あるいはこれらをミックスした保養型住宅地の開発が盛んであった。その背景として交通の発達や、電鉄会社の積極的な投資、大阪の発展による資本の蓄積、大阪都心の環境悪化による郊外への移住などさまざまな要素が挙げられる。
西宮ではこの類の開発がいくつかおこなわれ、やがて「西宮七園」とよばれるようになり、苦楽園もその1つに数えられている。苦楽園は香櫨園、甲陽園、甲子園と同じように、レジャー的要素を絡めながら開発が進んでいった。