第7章/酒造経営、大躍進の時代を画す
大正期、灘五郷・西宮郷への進出で、伊丹の小西から灘の小西へと大発展を遂げる。
 この年譜を見ても分かるように、小西家は、灘五郷への進出、西宮郷への進出、今津の酒造会社の買収を終えて、飛躍的に造石高を増大させた。ここにおいて本格的な酒造経営が始まったと見ていいだろう。
大正3年に大戦が始まったときには、先行き不安から酒造を手控えている感もあるが、以後、好景気にもあおられて、毎年、酒造量が上昇。
そして全国的に最高の造石高を示す大正8年には、伊丹の分に灘五郷 (西宮郷・東郷)の分と、本辰酒造の分を加えると、合計は、いっきょに35,135石を記録するにいたる。
 大正11年、この年、灘五郷で造石高が3万石を超える酒造家は次の4軒しかない (注2)。
小西家「白雪」 下記合計37,665石  
  伊丹町内 9,913石 ・9蔵
  灘五郷 (西宮郷・東郷) 8,921石 ・8蔵
  本辰酒造 18,831石 ・11蔵
山邑酒造株式会社・魚崎郷「桜正宗」 36,071石  
辰馬吉左衛門・西宮郷「白鹿」 32,691石  
本嘉納商店・御影郷「菊正宗」 31,492石