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日露混血のアナキスト作家大泉黒石の息子として[2]、東京府北豊島郡高田町雑司が谷
(現・東京都豊島区雑司が谷)に生まれる。祖父はニコライ2世と共に訪日した農家出身の
侍従アレクサンドル・ステパノヴィチ・ヤホーヴィチ。大泉自身はアレクサンドル・ステパノヴィチ・
ポチャーノフスキーと自称。父の都合により、各地を転々として過ごす。1937年、小学校卒業と
共に劇団東童に入り、大泉ポーの芸名で活躍。1940年、日活映画『風の又三郎』の一郎役で
映画デビュー。