>>576
1988年4月、吉本から独立して東京の芸能プロダクションに所属。
年収は2000万円と悪くなかったが、吉本興業が太平サブロー・シローの仕事の中心を大阪での漫才としていたため、
それに逆らって本格的に東京へ進出することを望んでの独立だった。

「笑っていいとも!」出演時には「吉本ザマミロ!」などと相当毒づいていた。
その後レギュラー番組を3本降ろされて、5ヶ月後には完全に仕事を失い干された状態に陥る。
これは、慰留した吉本の役員や芸人の説得を振り切って独立したことにより、
吉本がテレビ局に彼らを使わないよう圧力をかけたためであると言われる。
その後、シローを捨て解散し、更にプロダクションとも契約が切れて完全に干上がってしまったため、
それに耐えかねて1993年にサブローのみが吉本に復帰した。