>>911
全国的には今夏の第5波、患者自宅放置状態の惨劇が記憶に新しいだろうが、大阪の医療が大崩壊したのは、その前の4〜5月の「第4波」によって、だった。拙著、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』の「第10章 大阪医療砂漠」で詳述したが、ゴールデンウィーク前後の大阪では目抜き通りから一歩入ったコロナ感染者の家々のカーテンは閉められ、「見捨てられた」と家族は打ちのめされていた。
第4波では、英国由来のアルファ株が猛威をふるった。4月1日から5月20日までに全国でコロナ感染者2870人が亡くなっているが、そのうち大阪府内の死者数は884人と、全体の30.8%を占めた。感染者の「入院率」は、わずか10%まで落ちる。医療の受け皿がなく、自宅療養もしくは入院・療養等調整中で自宅待機を強いられた人の数は、5月半ばに1万8000人を超える。そのころの大阪の人口当たり2週間累計の死亡者数は、米国やインドよりも多く、世界最悪の水準に近かった。確かに変異株の感染力は強く、重症化のスピードは速い。とはいえ、大阪の医療体制の崩れ方は尋常ではなかった。