奈良時代に天然痘が蔓延した時(ハンセン病という説もあり)、聖武天皇の后であった光明皇后は浴室(現在のサウナに近い)を建設し、自ら患者の治療に献身した。この折に三人の典侍が皇后を助けた。彼らは「三典(サンスケ)」と呼ばれ、これが後の「三助」の語の由来になったともいう[7]。