オーメン(初代)の制作に携わった人達が遭遇したとされる不吉なエピソード

●主役を演じるグレゴリー・ペックの息子(長男ジョナサン)は、映画がクランクインする数か月前の1975年6月25日に自宅で死亡しているのが発見された。拳銃で自殺したとされている。
●1975年9月、ペックは撮影のためロンドンへ飛行機で移動中に空中で落雷に襲われた。その直後、製作総指揮のメイス・ニューフェルドもロサンゼルスへの飛行中に落雷に襲われた。
●撮影のため飛行機をチャーターした際、土壇場で別の機体に振り替えられた。一行が乗るはずだった元の機体は別の団体用に貸し出されたが、離陸に失敗して墜落し、全員が死亡した。
●ロンドンでの撮影中、メイス・ニューフェルドが滞在していたホテルでIRAの爆弾テロが起きた。彼は偶然にも無事だった。
●ロンドンでペックたちが夕食を取る予定の店が、同じくIRAの爆弾テロに見舞われた。その日のペックとヴェロニク夫人は、たまたま土壇場でキャンセルしたため、辛くも難を逃れた。
●リチャード・ドナー監督が宿泊していたホテルも、またもやIRAに爆破されたが、ドナーは無事だった。
●プロデューサーのハーヴェイ・バーンハードもローマでロケ中に落雷に襲われ、機材が被害に遭わないように対策をする必要があった。
●動物園のヒヒがダミアンと母親を攻撃するシーンのロケ撮影をした翌日、そのヒヒの飼育係がトラに襲われて死亡した。
●犬の撮影中、ロットワイラーが突然凶暴になり、スタントマンの保護具に噛みついて怪我を負わせそうになり、調教師でも制止することができなかった。
●さらにスタントマンのアルフ・ジョイントは、オーメンの撮影が終わって1年も経たないうち、次の仕事場であるオランダのアーネム近郊に造られた「遠すぎた橋」のセットで、建物から落下した際にクッションを逃して重傷を負った。「当時、自分の近くには誰もいなかったにもかかわらず、誰かに押された感じがした」とジョイントは語った。
●1976年8月13日の金曜日、特殊視覚効果を担当していたジョン・リチャードソンは、オランダのラールテにほど近いN348号線の路上で対向車と激突した。リチャードソンも次の仕事である「遠すぎた橋」に関わっていた。車は完全に破壊され、彼自身は一時意識を失ったものの軽傷で助かったが、助手席に同乗していた妻のリズ・ムーアは事故で窓から飛んできたタイヤホイールに首を切断され悲劇的な死を遂げた。後に英国のテレビ番組でリチャードソンは、事故の直前に「3つの666」と「オメン(Ommen)」と示された道路標識を見てショックを受けたと述べた(事故現場のやや手前、N348号線とN35号線の交差点付近に66.6kmのキロポストと、オンメンの方向を示す標識は実在する)。事故の日は76年6月6日の映画公開から66日が経過した最初の13日かつ金曜日であった。

このような不吉な出来事が頻発したため、タブロイド紙を大いに騒がせた。