ただ、残念だったのは最後のパシュトゥーン人の村でのやりとりが実話とまるで違うところ。

村の人々はタリバンではありませんが、アフガンの歴史ある山岳民族で、タリバンの活動しているアジト等も彼ら山の民から供与されていたり、タリバン勢力と深い関係にある民族です。
当然タリバン側は彼らの助けがないと活動はできないし、山に住む者たちの深い知識や経験があってこそなので、むやみやたらに冒頭であったような村人の殺害はしません。
タリバンの兵士の中にもパシュトゥーン人はたくさんいますし。
(武器で恫喝したり虐殺はあるにはあると思いますが)

マーカス・ラトレルを匿った村人はパシュトゥーン・ワライ(ワリ)という古くからの掟で「たとえ敵でも傷つき助けを求める者で村に客人として連れてきたならば、その村は命にかえてもその客人を守らなければならない」という内容に従って、マーカスを捜索しに来たタリバンの兵士相手に毅然とした態度で武器も持たず、説得して追い返すという荒業をやってのけます。
決して武器をとって最初から映画のように銃撃戦をしていたわけではなく、(もしかしたら銃撃戦になることを覚悟していたり、ある程度武器は村に隠していたかもしれませんが)タリバンのリーダーでも納得せざるを得ない、厳格な掟を説いて、タリバン勢力を追い返したのです。

また、村の長老もコンパスも持たずに徒歩だけで3日くらいかけて米軍基地にマーカスのことを伝えにいきます。そして、村で匿われているマーカスは彼らの行動や態度にパシュトゥーン人の掟について不思議な感覚を持ちながらも考えを改めていくのです。