宜嬪(ソンヨン)の死から14年後の1800年8月18日に正祖(イサン)は亡くなる。享年47

正祖の死後、正祖の次男・純祖が新王に即位し、政治的に正祖と対立していた貞純王后(鈴木明子)が垂簾聴政を行うに至り、正祖が作り上げた組織や諸改革が解体され、正祖派の人材は処刑や追放されるなどして全てが水泡に帰した。

また朝鮮の天主教教会は、信徒の大半であった南人を排除した辛酉教獄(1801年)や、五家作統法(相互監視制度)の実施などによって組織的に弾圧され、受難の道を歩むこととなった。