洪 国栄(ホン・グギョン、こう こくえい、1748年 - 1781年4月5日)は、李氏朝鮮時代第22代国王正祖時代の政治家。
字は徳老(ドクロ)。本貫は豊山洪氏。都承旨(トスンジ)兼宿衛所(スグィソ)の長官。

妹の元嬪を正祖の側室にするが病没。その後、正祖の異母弟の恩彦君の長男の李湛を完豊君として亡き妹の養子にし、世継ぎとして教育する。
外戚が権力を持つ「勢道政治」を行うが、その野心のために朝廷に敵を多く作り、最終的に1779年9月に配流となった。
晩年は酒に溺れ、1781年4月、流刑地で側女に看取られながら病没。享年34。