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江戸時代の享保17年(1732)に大飢饉が発生し、多くの餓死者が出たうえに、疫病まで流行したことで、国勢に多大な被害と影響を与えました。

犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈って、幕府(8代将軍吉宗)が催した水神祭に続き享保18年(1733)に両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。

※江戸時代、隅田川は別名「大川」とも呼ばれていました。古典落語の中では大川と表現されていることがあります。

※両国橋の名称の由来、貞享3年(1686)武蔵国と下総国の国境に掛かっていたので両方の国をつなぐ橋として両国橋の名がついたそうです。