『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』65点(100点満点中)
演技派二人の競演で、怖さとビックリを味わえる
ロバート・デ・ニーロ&ダコタ・ファニング(子役)という、ハリウッドきっての演技派二人が競演した恐怖ドラマ。

ある一家の母親が自殺した。発見した9歳の娘(D・ファニング)にとってそれは大きなトラウマとなり、心理学者の父(R・デニーロ)は彼女のため郊外の一軒家に引っ越すことを決める。しかし、一向に回復しない娘は、いつしかチャーリーという名の架空の友達とのみ遊ぶようになる。

それにしても、この邦題およびTV-CMの宣伝の仕方はいかがなものか。まあ、あれが一種のミスディレクション効果となっている面も否定できないが……。しかし、宣伝会社側の当初の紹介資料にある、感動うんぬんやら、どんでん返しの連続なんてのは、どう見ても当てはまらない。これは感動ドラマじゃないし、どんでん返しは最後に一発ネタがあるだけだ。

本作は、観客に正確な作品ジャンルが最後までわからない点が緊張感の維持において重要な要素であり、我々批評家としては紹介の仕方に非常に神経を使うタイプの映画である。この点をあまり深く考えていない映画紹介記事など読むと、いとも簡単に最大のお楽しみである結末のネタが割れてしまう可能性があるから注意が必要だ。心配な方は、いつもニコニコネタバレ無しで安心の超映画批評だけ読んで、さっさと見に行ってしまうことだ。

『ハイド・アンド・シーク』で優れているのは恐怖を感じさせる演出の数々で、終盤の恐ろしさはかなりのものだ。そして、もうひとつのウリは、驚きの結末。こちらは、観客側の情報不足によるストーリーの読みにくさのおかげで、それなりのビックリを得ることができる。とはいえ一発ネタだから、途中でバレたらおしまいだ。

レッテル張りによるミスディレクションはミステリの基本で、それに出演者たちの憎いくらいの演技力が加わり、かなりうまいこと騙してくれる。とくに、つきつめていけばこの映画最大のソレは、冒頭のダコタ・ファニングの蒼白な表情だ。私はあれに騙された。まさに作品を左右するこのワンシーン、ああいうことができるのだから、彼女を天才子役と称するのは大げさではないと納得させられる。

ただ、観客を混乱させるためだけの騙しシーンが多い。こういうのは、ミステリファンとしては評価減だ。ずるいとまではいわないが、これをやるとどんどんアンフェアに近づいてしまう。

演技の達者な二人が見事な競演を見せ、かなりの恐怖とそれなりのビックリを与えてくれる本作は、平均以上の出来ではある。怖い映画が見たい人は、ぜひ映画館に足を運んでみては?