先程出てきた、鈴木馬左也総理事といえば、
商社設立禁止宣言で住友は商社を持たなかった。商社機能は丸紅、伊藤忠、などに任せていた。
しかし戦後、住友本社などがなくなり、それらの機能が大阪北港などに集まり日本設計という建設工事の施工企画の会社となり、住友商事が設立された。
なので、丸紅や伊藤忠は住友から離れていき、安田財閥の流れを汲む富士銀行は融資系列にバラの包み紙の高島屋の貿易商社部門の総合商社の高島屋飯田があったので、丸紅と合併する事を考え丸紅と富士銀行、芙蓉グループは急接近となり芙蓉グループの商社機能を担う事に。
伊藤忠は第一銀行に急接近し第一勧業銀行グループへ。ちなみに日商岩井、鈴木商店は第一銀行系で、日商岩井は三和銀行とも近い。ニチメンも三和銀行に近く、
日立製作所は三和銀行と日本勧業銀行と富士銀行の融資系列で総合商社の兼松江商は日本勧業銀行系で兼松と日立は日本勧業銀行10社会の企業で日立と同じ日産自動車や日産春光懇話会の多くはは富士銀行が多い。
三和銀行(三菱UFJ銀行)は融資系列に日商岩井とニチメンがあったため、一緒になって双日なる事を望んでいた。