>>526 「久原が赤沢開発に乗り込んだ時、彼には大きな夢があった。自分の開くこの鉱山とその付近一帯の地に、浮世の荒波から忘れられた一つの桃源郷を造り出そう。
そこには労資の相克とか、事業と地方の対立とか云ったものの全く見られない、全てが混然一体となった楽天地を想像しようというものである。ほほえましい夢と見る人もあろう。
愚の類と考えるものもあろう。崇高な心構えと嘆ずる人もあろうが、果たして如何にこの夢は具現化したのか。」(日立鉱山史より)
大正初期の本山中心部  この久原の夢は、やがて独特の施策となって日立鉱山社会に実現し、従業員自身が「おらがヤマ」と呼び、「一山一家(いちざんいっか)」と呼ばれる風土を生み出しました。
こうした職住一体の環境下で苦楽を共にすることにより、従業員の間に連帯感が生まれると同時に、会社内に従業員を尊重する気風が育まれ、現在まで引き継がれています。