>>518 日立鉱山についても同様のことが言える。煙害問題なしに鉱山の歴史は語れない。大正3年12月、当時、世界最大と言われた煙突を、日立鉱山が独自に完成して、此の問題に終止符を打つことができたのであるが、これは凡そ10年に亙る歳月、地域住民と共に苦しみ、悩み、そして自らの手で解決し得た貴重な経験であった。富士山が、ただ高いのではないと同様、日立鉱山の煙突も、ただ高いだけではないのである。」
「日立鉱山煙害問題昔話」(関右馬允著、1963年)に寄せた久原房之助の巻頭言より

一山一家(いちざんいっか)の精神 当社グループの「従業員」に対する考え方のルーツは、1905年の日立鉱山の創業時にまで遡ります。日立鉱山は他の鉱山と違わず、山間深くにありました。
創業者の久原房之助は、都市から離れた不便な場所にある鉱山での事業を成功させるためには「従業員が安心して働ける環境への配慮」が必要と考え、鉱山での生活水準の向上に力を注ぎました。これが当社グループの基本の考え方である「従業員尊重」の精神の始まりです。
久原は従業員が家族とともに生活できる環境づくりに取り組み、住居だけではなく子供のための学校や病院、鉄道、娯楽施設まで含めた街づくりを行ないました。