創業者・久原房之助の精神 | 日鉱記念館について  大煙突精神   1905年の日立鉱山創業開始当時、銅の製錬に伴い発生する亜硫酸ガスによる公害問題が深刻化し、鉱山経営の根幹を揺るがす危機的な事態へと発展しました。
しかしながら久原は不屈の精神で当時世界一の高さを誇った大煙突を建設、これが煙害問題の解決の道筋をつけることに成功したことが、同山を日本有数の銅山たらしめた大きな要因となりました。
難題に対しても逃げることなく真摯にかつ実直に取り組まんとするこうした姿勢は、今も当社グループの中に生き続けています。
久原は晩年、公害問題について以下のように述べています。
「公害問題は常に新しい。それは、人類に背負わされた永遠の十字架にも似ている。科学の発達につれて、公害もますます多角化していく。
これを食い止めようと、いかに多くの人々が、血のにじむ努力と苦悩を積み重ねてきたことか。しかし、此の努力が人類の進歩をもたらす原動力となっていることを考えると、公害の問題は、むしろ、われわれに対して「克己」ということを教えてくれているとも言えよう。