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本作は伝説のスタジオ カロルコ・ピクチャーズの息の根を止めた作品として悪名高く、史上最大の経済損失を出した映画としてギネス記録を持っています。本作にかけられた製作費は実に9800万ドル。そのプロダクションは浪費の連続でした。

プロデューサーのマリオ・カサールは脚本が未完成の段階からマルタ島でセットを作り始めていました。しかし現場入りしたレニー・ハーリンはセットが気に入らずに作り直しを指示。加えて100万ドルをかけて脚本の書き直しも行いました。また常時3台のカメラを回し、すべてのショットで膨大な量のフィルムを浪費するハーリンの撮影方法にもかなりのコストがかかりました。

レニー・ハーリンのこだわりや暴君ぶりはハンパなものではなかったようで、当初の撮影監督はオリヴァー・ウッド(『ダイ・ハード2』、『フェイス/オフ』、『ボーン・アイデンティティ』)だったのですが、ハーリンと揉めに揉めて現場を去って行き、その際には20名のスタッフもウッドに従いました。

その後にはオーストラリアの撮影監督ピーター・レヴィ(『プレデター2』、『ブローン・アウェイ/復讐の序曲』)が就任しました。なお、オリヴァー・ウッドの次回作となる予定だった『ブロークン・アロー』(1996年)でもレヴィが撮影を担当しています。

そんなハーリンもカロルコの財政難への懸念から製作打ち切りをマリオ・カサールに提案したのですが、カサールはこれを却下。契約の関係上、カロルコがギブアップしない限りハーリンとデイヴィスもやめられず、何とか完成にまで漕ぎつけました。

そんな努力もむなしく、本作公開の6週間前にカロルコが倒産。劇場公開に向けたマーケティングキャンペーンを行うことができず、全世界で1000万ドルしか稼げないという大赤字映画になったのでした。