アイガー北壁の登山事故の悲劇クラウディオ・コルティの悲劇(1957年)

1.クラウディオ・コルティとロンギのイタリア隊が北壁に挑戦。その2日後にもドイツ隊の2名も同じルートを登り始めた。
2.2隊ともなかなか前進できず遭難。
3.6カ国で構成した救助隊により、クラウディオ・コルティは山頂から320mのザイルを垂らしてもらい救助された
4.しかし、ロンギ隊員はザイルにぶら下がったまま死亡。
5.遺体は回収困難と判断され、ザイルに宙吊りになったまま放置せざるを得なくなった。
6.遺体が回収されたのは、なんと、事故から2年後。

遺体が回収されるまでの2年間は、先ほど紹介した(トニーの事件)アイガー北壁独特の「舞台性」もあり、観客(野次馬)が押し寄せて双眼鏡で覗くという「悲劇の舞台」に。