2頭の剥製は、シカゴにあるフィールド自然史博物館に所蔵されている。
『ライオンはなぜ「人喰い」になったか』の著者である小原秀雄が「あまり巧みな剥製とはいえない」と評するほど、不出来なものである。
この2頭が剥製として展示されたのは、射殺から25年以上が経過した1925年のことだった。
パターソンは1924年に毛皮となったライオン2頭をフィールド自然史博物館に5000ドルで売却し、この値段は2007年9月時点で換算すれば、6万ドル(約690万円)に相当するという。
この毛皮は、博物館の館長スタンリー・フィールドが所蔵していた。
毛皮はパターソンが長期にわたって敷物に使っていた状態だったため、剥製にするのはかなり困難を伴い、展示まで時間がかかったという。

2007年になって、ケニア政府は2頭の剥製の返還をフィールド自然史博物館に要求したが、博物館側はこれを拒否した。
ケニア政府は、引き続き2頭の返還を博物館側に要求し続けている。