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注射とガチンコ
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 つまり八百長の全盛期のきっかけを作ったのは柏戸さんであり、確立したのは北の富士だといえる。大鵬の場合、20回の優勝ぐらいまではガチンコだったが、それ以降は注射で決まったものだった。玉の海との一番や、5場所連続休場明けに27回目の優勝を飾った昭和43年秋場所では、初日に栃東(玉ノ井親方)に負けてからは、ずーっと注射に走ったという。これは親方連中の中では有名な話だ。ガチンコを通すか、20回の優勝でやめておけば、現役を引退してからも協会の中で胸を張ってあるけたはずだ。
(「復刻新版 八百長 ~一刀両断相撲協会~」p23)

千代の富士でさえ、八百長で優勝を重ねた。つまり、彼に与えられた国民栄誉賞なるものは、無駄なものであった。
オバマ大統領のノーベル平和賞と同じで、国民は騙されたのだ。
注射の中盆(仲介役)の板井ですら、怒っていた。
だから、相撲界の中では、当時、あの国民栄誉賞について、陰口がささやかれていた。