1971年(昭和46年)4月20日:国鉄103系1200番台営業運転開始。
1972年(昭和47年)10月2日:国鉄総武線津田沼駅まで相互直通運転(ラッシュ時限定)開始[50]。
1974年(昭和49年)4月9日:自動進路制御装置 (ARC) 及び列車集中制御装置 (CTC) を導入[59]。
1975年(昭和50年)6月9日:平日の昼間時と休日に快速列車が浦安駅停車となる[58]。
1977年(昭和52年)11月1日:東西線向けとして8年ぶりに車両増備を行い、一部列車の10両編成運転を開始する(それまでは7両編成・一部は暫定的に8両・9両編成)[60][61]。
1978年(昭和53年)2月28日:葛西 - 南砂町間(当時西葛西駅は建設中)にある荒川に架かる荒川中川橋梁上で春一番に伴う突風(後に竜巻によるものと判明)を受け、通過中の中野行列車(5000系10両編成)3両が脱線(うち2両は転覆)[62]。20数名が負傷した(営団地下鉄東西線列車横転事故)。
1979年(昭和54年)10月1日:西葛西駅開業[63]。車両増備を行い、西船橋から中野方面への朝ラッシュ時の1時間あたり運転本数を21本から24本(2分30秒間隔)に増発[64]。
1981年(昭和56年)
3月27日:南行徳駅開業[65]。
10月1日:車両増備を行い、西船橋から中野方面への朝ラッシュ時の1時間あたり運転本数を24本から27本(2分15秒間隔)に増発[64]。
1982年(昭和57年)2月15日:西船橋 - 勝田台間の路線免許申請を取り下げ[66]。