旧暦で、今の8月を暑さにかかわらず秋に組み入れたのは何故だろうか…。思うに、気配、予感を重視していたからではないか。気温はピークのただ中だが、光は夏至を過ぎて既にピークアウトしている。まだ太陽のパワーを盛んに感じるなかに、その衰えをフッと五感で感じる瞬間がある。高い空に掃いたようなすじ雲、木陰を吹く風のさわやかさ、草むらから秋の虫の音、朝晩の涼しさ…。暑いなかにも確かに秋の気配、予感が顔を出す。

 今の季節の区切りは気温を重視した「体感、実感の季節感」なのに対し、旧暦の季節は変化の兆しを重視した「気配、予感の季節感」と言えそうだ。フッと思い浮かぶ言葉がある。
 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(江戸の俳人服部嵐雪の句)
 「一葉落ちて天下の秋を知る」(中国の故事成語)
 寒さが厳しい中に春の気配を感じる句であり、たった1枚の葉っぱに秋の到来を読み取っている。旧暦の時代から、変化に敏感な感性が根付いている。

https://www.nns-catv.co.jp/weather/archives/manager_soliloquy/manager_soliloquy-1099