15歳の頃、歌唱による酷使が原因で声帯を痛め、治療のために沈黙療法を選択したことで発声が出来ない期間を約半年間経験するが、そのおかげで歌手になりたいという夢が明確になり、回復後に喉を守るように工夫して歌うなかで現在の声質と歌唱法を確立する[4][5][6]。このときの声帯の傷はデビュー後の現在も完全に治癒しておらず、結節として残っている[7] が、完治すると今の声は出せなくなるとの主治医の忠告[8] や「『この喉でずっとやってきた』という思いが自分の中にはある」という自身の意志もあり、声質を維持するために現在の状態を保っている。