イスラム教には宗教会議が無いので、「これが正統教義です」という統一の見解が無い。イスラム教徒自身がイスラム教のことを分かっていない。

宗教なんか元々ただの妄想だし、聖書も矛盾だらけで何の整合性も無い。
信者は皆、その中の自分に都合のいい部分を更に自分に都合よく解釈して「聖書にこう書いてあるメン!」と言ってるだけ。

藪蕎麦(ユダヤ教)の店員だった男(イエス)が蕎麦屋を開店して勝手に本家藪蕎麦と名乗ったのがキリスト教。当然、元祖藪蕎麦は激怒。
店員ですらない男(マホメット)が蕎麦屋を開店して藪蕎麦本店を名乗ったのがイスラム教。
元祖藪蕎麦は呆れるしかない。

色々な時代の色々な人物の言動や書いた物の寄せ集めである聖書に整合性など有る筈もないのに、特にキリスト教は、矛盾を解消する詭弁を生み出そうとのたうち回ってきて、その過程でどんどん分派していった。
そののたうち回りのピークがスコラ哲学という壮大な徒労。
マホメットは賢いからそんな無駄な事はせずに「全ては神の為せる事だけど、その意図は人間ごときに分かりようもない」と、すましている。