>>633
ここから「なぜ,学校でなければならないのか」という疑問が出てくる。これに応えるかのように,2016年にひとつの大きな法律が成立した(=教育機会確保法のこと)。この法律は,学校以外の場所での学習も公的に認められるべきだという議論と重なる。しかし「不登校」は,子たちがどこで学ぶか(どこで学んでもいい)という場所の問題ではない。

つまり,不登校という現象を定義するのではなく,不登校児童生徒という人間が法律によって新たに生み出されたわけである。「不登校」とは,ある状態をさすのではなく,そのような状態になった個人の心理的・情緒的要因を問題にする概念にすり替えられたのである。

【「教育勅語」について】
2017年4月,政府および文部科学省は「教育勅語」を教材として使用しうる見解を表明した。憲法などに抵触しない範囲で扱うことはよいなどと言われたが,そもそも「教育勅語」自体が戦後の衆議院・参議院において失効を確認され憲法と両立できないことが示されている。したがって,教育勅語の内容を今日の社会において活かす形で扱った時点ですでに憲法に抵触する。