>>598
やってる
>東京ヤクルトスワローズにて、ユーティリティープレイヤーとして活躍した度会博文の次男として生まれる。兄の基輝は、拓殖大紅陵高、中央学院大を経てJPアセット証券に所属している。

>兄の影響を受けて3歳の頃から野球を始める。市川市立柏井小学校時代は東京北砂リトルに所属し、6年でヤクルトJr.入り。市川市立下貝塚中学校時代は、佐倉シニアに所属。リトルシニア全国選抜野球大会優勝、ジャイアンツカップ優勝を達成した。また、U15日本代表として、アジアチャレンジマッチに出場。最優秀選手に選出された[1]。

>横浜高等学校に進学。入学直後から背番号14でベンチ入りすると、1年夏の神奈川県大会では代打としての5打数5安打を含む9打数7安打を記録した。甲子園1回戦の愛知産業大学三河高等学校戦では甲子園初打席初安打を記録した。1年秋には正二塁手の座に就くも、ケガもあり翌春のセンバツは代打として出場した。以後、不祥事による監督解任などもあり、甲子園出場はなかったが、高校通算24本塁打・公式戦通算打率.419をマークし、プロ志望届を提出するも、指名漏れ。社会人野球の名門、ENEOSに進んだ。