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実況 ◆ TBSテレビ 49925 砂の数よりいるのにね

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1渡る世間は名無しばかり
垢版 |
2023/04/12(水) 14:11:39.23ID:KgUNzLxk
※前スレ
実況 ◆ TBSテレビ 49924 黄砂
https://sora.5ch.net/test/read.cgi/livetbs/1681273600/
2023/04/12(水) 14:27:18.54ID:+h4hGjIE
地質調査による解析

古くは、日本では少なくとも7万年前以降の最終氷期には黄砂が飛来していたと考えられている。最終氷期の初期にあたる7万年前から6万年前ごろの風送ダスト(風によって運ばれ、堆積した砂や塵のこと。黄砂もこれに含まれる)の堆積量は10cm3あたり12グラムであった。完新世にあたる1万年前から現在までは同3 - 4グラムである。つまり、最終氷期初期は現在の3 - 4倍と、かなり多かったと推定されている。このほか、1万8000年前にも黄砂の堆積量が増えたというデータがある[3][4]。

気候との関係については一般的認識とは逆の推定がされており、発生地域が寒冷期にあるときには、乾燥化が進むうえ、大気循環経路の変化により寒気の南下回数が増え、砂塵嵐の頻度が増えることから、黄砂が増加すると考えられる。逆に温暖期にあるときは、湿潤化が進むことなどから黄砂が減少すると考えられている。2千年紀(過去1000年)間の中国での塵の降下頻度の記録から、塵の降下頻度の増加が気温の上昇と逆相関関係にあるという研究があり、この説を裏付けている[3][4]。>>570

また、現在黄砂の発生源となっている黄土高原は、250万年前から始まり200万年前から増えた風送ダストによってできたと考えられている。これら黄砂や風送ダストの量の変化は、気候変動や地殻変動によって、風や降水、地形などのパターンが変わったことによる[3]。

また、日本の南西諸島にはクチャ(学術名:島尻層泥岩)と呼ばれる厚さ約1,000メートルの泥岩層が分布しているが、この層には黄砂由来の粒子が含まれていると考えられている。島尻層泥岩は新第三紀、およそ2500万年前から200万年前ごろの地層であり、このころにも黄砂が飛来していた可能性を示唆している。

さらに堆積物の分析結果から、もっとも古い時代では白亜紀後期にあたる約7000万年前から黄砂が発生していたと考えられている[44]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%A0%82#%E5%9C%B0%E8%B3%AA%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%A7%A3%E6%9E%90
2023/04/12(水) 14:28:12.74ID:+h4hGjIE
過去の黄砂飛来状況(2001年~2013年の主な黄砂現象の紹介)
https://www.env.go.jp/air/kousa/dss_08.html
2023/04/12(水) 14:28:31.40ID:+h4hGjIE
黄砂は平安時代から飛んでいた!朧月夜や春霞などの風流な季語たち、実は黄砂が原因だった
https://mag.japaaan.com/archives/94416/amp
最近気になる平安時代は今より温暖化だった?話
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/07/post-5716.html

縄文~江戸時代の気温推移

 日本の縄文時代は完新世最温暖期にあたり、気温は現在より2°Cほど高く温暖で湿潤な気候でした。縄文人が好んで食べた貝類の殻を捨てた貝塚が内陸部で見つかっていることから、海面は今より3-5メートルも高く、縄文海進と呼ばれるように海岸線は内陸部に大きく食い込んでいました。また縄文人は「トウカイハマギギ」という熱帯魚の一種を食料にしていたことが、岡山県の彦崎貝塚や佐賀県の東名貝塚から骨が大量に発見されたことで明らかになりました。現在は寒冷な東北地方にある三内丸山遺跡で高度な縄文文化が長期間維持されたのも、当時の気候が今よりうんと温暖だったことが根本的な要因です。
https://himawari.5ch.net/test/read.cgi/liventv/1636761870/420-
2023/04/12(水) 14:29:22.94ID:4KrrYe5J
>>5だったらゴリラに似てる彼女できる
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